大震災に思いを馳せて  新潟中越地震のボランティア体験

平成23年3月11日午後、三陸沖等を震源とする未曾有の大地震が起きました。次々と拡大する被害の報道に触れ、所員一同、心よりお見舞い申し上げます。
 私は、平成16年10月23日の新潟県中越地震の際、被災した小千谷市にボランティアで入りました。最初の地震発生から一週間経過した5日ほどの間です。その間、援助物資の仕分作業や、被災した家屋の片付、バイクでの物資輸送、避難場所である学校の清掃などを行いました。
 最初の2日間は、援助物資の仕分け作業に追われました。全国から送られてくる援助物資の集積所で各物資を仕分けし、末端の避難所に行き届くよう適切な分量に配分、自衛隊や警察・消防の車両・ヘリ、さらには緊急輸送担当の二輪四輪各ボランティア部隊に託すのです。
 企業や各自治体から届いた援助物資は、「さすが」と思わせるものでした。段ボールの外側に何が梱包されているのか明確に記載されていました。例えばそのメーカーと商品の名前が入った段ボールに「紳士防寒用長袖下着Lサイズ20着」「女児用紙オムツ20包」などと大きく記載されているのです。これなら、段ボールごと輸送車両等に積載し、速やかに各避難所に届けることができます。
 他方、一般の人が送付してくれた援助物資は、段ボールの中に様々な物資が梱包されていました。これでは仕分作業に手間取ってしまうため、残念なことに廃棄せざるをえませんでした。人手が少ないので、様々な物品が梱包された物資の中身を一々確認する暇がない。確認作業をしないでそのまま避難所へ送っても、避難所でも中身を調べる人手がない。結局露天に放置され雨や夜露に濡れ、泣く泣く廃棄することになったのです。廃棄処理に人手も予算もかかるという二次的な問題が発生したかもしれません。
 私がどうやって現地で寝泊まりしていたかというと、パチンコ店の露天駐車場に登山用テントを張り、真冬登山用の寝袋にくるまって夜を明かしました。震度5前後の余震が度々襲い、テント外は氷点下の寒さでした。食事は登山用の食料と煮炊きする道具を持参し自炊し、風呂も入れないものと覚悟を決めていました(それでも、各ボランティアの炊きだしを頂いたり、自衛隊が設置した風呂に入ったりしましたが、これはあくまで、被災者に差し上げる分が「余ったから」でした。)。
 被災地で必要なモノや人手は、震災後の各時期によって変化していきます。月並みではありますが、物品を送るよりも、義援金の方が一番色々なモノに換えることができ、役に立つのではないでしょうか。また、「モノより労力を提供したい」という場合でも、それなりの装備・経験と覚悟が必要です。
 とりとめのない話になりましたが、最後に。災害の度に自衛隊が活躍します。やっぱり自衛隊は必要だ・・・という議論になりがちですが、私は密かに「自衛隊を軍事組織ではなく、最初から災害救援の組織にしておけばよいのに」と思っています。最初から、災害救援のための組織として装備訓練しておけば、災害のごく初期段階から大規模に投入できると思うのですが、いかがでしょう?(浅川)
.14 2011 災害 comment0 trackback0

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